ブラジルに留学してプロを目指した坂戸高サッカー部の大久保亮祐監督 30歳で教員採用試験に合格
【第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選】
2025.09.02

埼玉・坂戸高サッカー部の大久保亮祐監督は、異色の経歴を持った指導者だ。高校を卒業すると、ブラジルに留学してプロを目指したが断念。帰国後に埼玉のクラブチームと宮城の実業団チームでプレーしながら、今後の身の振り方を思案していると、教員になりたいという欲がふつふつとわいてきた。4度目の挑戦で採用試験に合格。30歳だった。
大正大学に進学したがサッカー部には所属せず、海外留学で力を蓄えてからプロになることを目指した。所沢中央(埼玉)を卒業した1994年11月から10カ月間、大学を休学してブラジル・サンパウロ州の5部チームに留学。しかし滞在中にプロになるのは至難の業と判断した上、高額な留学費用を考えると淡い夢など見ていられなくなった。
帰国後は、埼玉県教員クラブとして1982、83シーズンに日本サッカーリーグ2部に所属したこともある埼玉サッカークラブ(現さいたまサッカークラブ)に3年間在籍。高校時代のポジションはMFで、ブラジルではSB、教員クラブはFWか2列目を担当した。
そんな折、留学先で知り合った先輩から佐川急便東北支社サッカー部コーチに話を持ち掛けてもらい、練習生という肩書で加入。ただし公式戦には1度も出られなかった。
サッカー部は仙台市を拠点に活動し、仙台実業団リーグに加盟。深夜12時から8時まで佐川急便で働き、仮眠を取って午後2時半からの練習に参加する生活を続けた。しかしこの日常サイクルは過酷だった上、左ひざを手術したこともあって1年で退社、退部する。
「でもまだ現役を続けたい、ボールを蹴りたいという思いが強く、さらに教員を目指そうという明確な目標ができたんです。埼玉サッカークラブ(2008年からさいたまサッカークラブ)に復帰させてもらい、プレーしながら埼玉大学教育学部生涯学習専攻健康スポーツコースへ編入し、2年間学んで教員職員免許を取得しました」
埼玉大に入るまでの3年間、フィットネスクラブで働きながら、競技者も指導できるNSCA-CPTというパーソナルトレーナーの資格を取得。この間、三矢正則監督にお願いし母校・所沢中央の練習を見学させてもらい、指導者のあるべき姿を学んだ。
現在、朝霞に勤務する三矢監督からたくさんのことを吸収したそうで、「朝から晩まで生徒と時間を共有し、生徒に対して100パーセント向かっていきます。どんなに厳しい練習でも彼らはついていったし、試合で点を取られてもひるまず、強豪チームと戦っても臆することがなかった。三矢先生は指導力も高いが、生徒と対等に向き合う人間性が魅力でした。私にとってはこれ以上ないお手本です」と言うのだから、どれだけ薫陶を受けたのかがうかがい知れる。
卒業後はまず和光、続いて富士見市立富士見特別支援学校、県立所沢支援学校にそれぞれ1年ずつ非常勤講師として勤務した。埼玉県公立学校教員採用選考試験には4度目で受かり、2010年に保健体育科の正規教諭として所沢西に着任し、サッカー部監督を任された。「部員は毎年80人ほどで、力のある選手が多かった」と回想。就任4年目の第93回全国高校選手権予選では1回戦で春日部東を3-1で下し、2回戦では強豪の東京成徳大深谷に1-2で惜敗したが、「辛抱強く続けていけば上位に食い込むチャンスがくると感じました」と手応えをつかむ。
和光在勤中は山下暁之監督(現花咲徳栄コーチ)の下で指導の基礎を吸収したほか、所沢西時代は飯能南・荻野賢喜、城西大川越・西澤武、所沢・高橋清史、川越・桑原一郎、西武台・守屋保、坂戸・仲野浩、武蔵越生・西澤浩一、西武文理・山口豊の各監督に懇意にしてもらった。
大久保監督は16年4月に坂戸へ転勤したが、22年から今年3月まで山下監督に坂戸のテクニカルアドバイザーを依頼。技術力向上に貢献してもらった恩義ある指導者だ。
10年から22年までさいたまサッカークラブのマネジャーをこなし、関東リーグのチーム理事も務めた。
今年は坂戸に赴任して節目の10年目を迎えた。「まじめな生徒ばかりで何事にも手を抜かず、自主的に何でもやります。チームメートにも厳しいですね」とうれしそうに話す。
トーナメント戦で着用するユニホームのデザインは、名門・国見(長崎)がかつて使っていた黄色と青色の太い縦じまだ。「全国屈指の強豪に育てた小嶺(忠敏)先生に敬意を表しました」と説明。練習場は校庭のほか、近くの坂戸市民総合運動公園内にある人工芝グラウンドも使用する。
まだ大きな戦績は残していない。全国高校選手権予選では、決勝トーナメントに4度進出したが、いずれも1回戦敗退。県U-18リーグは西部支部2部に所属し昨年が3位で、今季は前半戦を終えて首位と勝ち点3差の3位にいる。
「うちはまだ選手権予選でベスト16に進んだことがないので、まずはここに照準を合わせたい。結果にはこだわってやっていきますが、勝ち負けだけではありません。サッカーは人を幸せにするものですし、自分とチームの成長を実感できることが何より大切だと思います」
大久保監督は持論を滔々と述べ、選手がそれまで苦手だったことができるようになった時、指導者としての喜びに浸るそうだ。1、2年生の時は力不足でも3年生になってメンバー入りし、レギュラーを獲得する選手も多いという。練習と努力によって成し遂げることが尊いと説く。部のモットーはサッカーを享受し、競技者、愛好者を問わずサッカーを続ける選手と指導者の育成だ。
主将のMF佐藤拓登(3年)は、「チームのスローガンは、ポルトガル語で友情や絆を意味するアミザージ(amizade)です。うちは個の力がひとつになると強いと思う。友情こそ最高の戦術というテーマも掲げています」と解説する。
監督の横顔について尋ねると「とにかく熱い人で、チームのことを何よりも考えています。たまに対峙することもありますが、結局、先生の主張が正しいんですよね」とうなずいた。
今年の第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選では、4年ぶりの決勝トーナメント進出を目指し、さらに未踏のベスト16入りも視野に入れる。
大久保監督は「技術を磨き、判断力を養うための支えをしていきたい」と話すと、「高校サッカーって、本当に人をひきつける魅力が詰まっていますね」と真っ黒に日焼けした顔から、笑みと白い歯がこぼれた。
(文・写真=河野正)
この記事は 高校サッカードットコムからの引用です。
記事はこちらより ご覧になることができます。 高校サッカードットコム
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海外サッカー留学を目指すなら、
― 坂戸高校サッカー部・大久保亮祐監督の経験から学べること ―
1. 海外留学は“夢”と“現実”の両面を知る場
- 大久保監督は大学在学中に休学し、ブラジル5部リーグに挑戦しました。
- 留学先では「プロの壁」と「経済的負担」という現実に直面。
- つまり、海外留学=必ずプロ契約につながるわけではないということ。
- ただし、世界最高峰の環境で練習・試合を経験できたことは、のちの指導者人生に大きな財産となりました。
👉 学び: 「夢を追う挑戦」と同時に「リスクと費用」を理解して準備することが大事。
2. 帰国後のキャリア設計が重要
- 大久保監督は帰国後もクラブや実業団でサッカーを続けつつ、自分の進む道を模索。
- 結果として、「選手としての限界」を認め、教員としてサッカーに関わる道を選びました。
👉 学び: 留学後にプロになれなくても、サッカーを活かしたキャリアは多様に存在する。
(例:指導者、教員、クラブ運営、通訳、エージェント、スポーツビジネス)
3. “挑戦をやめなかった姿勢”が未来を切り開く
- 教員採用試験に4度挑戦し、30歳で合格。
- 諦めず努力を重ねたからこそ、「指導者として生徒を導く立場」になれた。
👉 学び: プロになれなくても、挑戦の経験や粘り強さは必ず人生の武器になる。
4. これから海外留学を考える学生へのアドバイス
- 費用の現実を知る
→ 留学費・滞在費・生活費は大きな負担。サポート制度や奨学金の情報収集を。 - キャリアプランを複数描く
→ 「プロになれなかった場合」を想定して、指導者・大学進学・語学力活用の道を考える。 - 留学の目的を明確にする
→ プロ契約だけでなく「語学習得」「異文化経験」「個人技術の向上」など、幅広く目標設定。 - 帰国後も挑戦を続ける姿勢
→ 留学経験は無駄にならない。自分のキャリアにどう活かすかを常に考える。
まとめ
大久保監督の経験は、
「海外留学は夢を広げる一方で、現実とのギャップも大きい」
「ただし、その経験をどう活かすか次第で人生は豊かになる」
ということを教えてくれます。
サッカー留学を考えている君へ。
大切なのは「行く勇気」と「帰ってからの戦略」、そして「挑戦をやめない心」。
自分という人間を今の環境の外である海外という場所に置いてみて未来の展望、夢や現実について真剣に考えることがきっと貴重な経験になると思います。自分と真剣に向き合うあなたへ今後もご協力させていただけたらと思います。一緒に考えていきましょう。
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