【Curated Focus】ボールを蹴らなかったフットボーラー。「嘘」と「生き方」が浮き彫りにする、フットボールの深淵
「一度もプレーしなかったサッカー選手」を 鹿島ゆかりの2人が斬る「鹿島にいたらとんでもないことになる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e827457fc4c5c1f7b444b4abc0804ef06dfbc3c
元サッカー日本代表の名良橋晃氏と、ジーコ氏の通訳として長年日本サッカー界を支えてきた鈴木國弘氏。日本フットボール界の歴史を知る2人が都内で行われたトークイベントに登壇し、映画『カルロス・カイザー サッカー史上最も奇妙な成功者』について語り合った。
一見するとただの奇天烈なコメディのような男の半生。しかし、ブラジルサッカーが抱える多面性と、日本サッカーが築き上げた「集団の美学」との対比から、私たちが求める「プロフェッショナリズム」の本質が見えてくる。
「サッカー史上最も奇妙な成功者」——カルロス・カイザーとは何者か?
主人公のカルロス・カイザー(本名:カルロス・エンヒキ・ラポーゾ)は、かつてフラメンゴやフルミネンセといったブラジルの名門クラブを渡り歩いた「プロサッカー選手」だ。
しかし、彼はプロとしてピッチ上でほとんどボールを蹴っていない。
経歴詐称や偽の負傷を巧みに利用し、試合に出場することなく契約を更新し続けた。この稀代の詐欺師に対し、ブラジル代表のレジェンドであり元日本代表監督のジーコ氏は「サッカー界の面汚し」と強い言葉で批判する。
その一方で、元ブラジル代表のレナト・ガウショは「彼はサッカーをしなかった史上最も偉大なサッカー選手だ」と、ある種の親愛を込めて評している。
なぜこれほどまでに相反する評価が存在するのか?
「人たらし」としての生存戦略と、ジーコ主義の葛藤
今作の日本語字幕監修を担当した鈴木國弘氏は、自身がジーコ氏の傍らにいたからこそ抱いた複雑な心境を明かす。
「監修するのも怖かったくらい。カイザーという存在に対する嫌悪感が先にきた。でも、これも一つの生き方。彼は究極の人たらし。試合に出ないから誰のポジションを奪うわけでもなく、選手やスタッフから愛されていた。友達としては最高だが、サッカーは別。そういう世界を自分で作って生き抜いてきた人」
ブラジルという巨大なフットボール生態系においては、ボールの技術だけでなく「人たらしとしての生存能力」すらも、ひとつの才能として成立してしまう余白(あるいはカオス)が存在する。
嘘で固められたキャリアでありながら、周りの人間を惹きつけ、愛されてしまった男。そこに、理屈では割り切れない南米フットボールの人間臭さと奥深さが滲み出ている。
もし「常勝軍団・鹿島アントラーズ」にカイザーがいたら?
イベントでは、「もし1990年代の鹿島アントラーズにカイザーがいたらどうなっていたか?」という興味深い仮説が投じられた。
これに対し、名良橋氏は「とんでもないことになる」と即答。本田泰人氏や秋田豊氏といったクラブの精神的支柱の名を挙げ、「そのお二方が全否定すると思う」と一蹴した。
鈴木氏もアントラーズが持つ独自の文化を引き合いに出し、こう分析する。
「アントラーズは団結力が違う。『こいつは嫌いだ』となったら、全員が嫌うオーラを出す。それがアントラーズの強み。こういう人間(カイザー)が来たら、まず受け入れられないのではないか」
勝負に対してどこまでもストイックであり、規律と誠実さを尊ぶ「ジーコイズム」が根付いた環境では、カイザーのような存在は一切の隙間を与えられない。日ブラジルのフットボール文化の違い、そして「常勝軍団」と呼ばれるチームが保持する純度の高いプライドが垣間見える瞬間だ。
【Perspective】「正しさ」の向こう側にある、人間の多面性を見つめる
名良橋氏はこの映画を鑑賞し、「これは嘘ではないかと思う部分もあるが、こういう生き方もあるんだなと思った。色々な人生がある」と語った。
プロフェッショナルとして勝利や向上心を追求することは絶対的な価値である。カイザーの行ったことは、スポーツマンシップの観点から見れば到底許されるものではない。
しかし、彼が創り出した「架空のフットボーラー像」に周りが巻き込まれ、結果として人々を魅了してしまったという事実もまた、フットボールというドラマが持つ不条理な魅力の一部と言えるかもしれない。
一つの規律や正解だけで測りきれない「人間の業」や「生き方の多様性」。
フットボールという鏡を通して、私たちが日常で信じて疑わない「プロフェッショナリズム」や「信頼」の価値を改めて問いかけてくる1本だ。
(Source: Yahoo!ニュース / トークイベント取材記事より構成)



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