
香月 康正/Yasumasa Katsuki
代表
1987年生まれ大阪府出身。枚方フットボールクラブから東海大学付属大阪仰星高校に進学。チームとしては高校2年時に選手権出場、3年時にインターハイ出場するも、選手としては日の目を見ず高校を卒業する。高校サッカー部監督からは大学進学を強く薦められるが、それを押し切り単身ブラジルへ渡る。ブラジルから帰国後はプロサッカー選手の夢を追いかけインドネシアに渡る。インドネシアから帰国後は指導者としてコーチングを学ぶために再びブラジルへ。 その後、2013年に都内のスポーツ関連企業に就職し2017年に退職。翌年、日本人に世界基準のサッカーを若い内から経験させたいとの想いから、日本とブラジルを繋ぐサッカー留学コーディネートCEENを立ち上げる。
代表
1987年生まれ大阪府出身。枚方フットボールクラブから東海大学付属大阪仰星高校に進学。チームとしては高校2年時に選手権出場、3年時にインターハイ出場するも、選手としては日の目を見ず高校を卒業する。高校サッカー部監督からは大学進学を強く薦められるが、それを押し切り単身ブラジルへ渡る。ブラジルから帰国後はプロサッカー選手の夢を追いかけインドネシアに渡る。インドネシアから帰国後は指導者としてコーチングを学ぶために再びブラジルへ。 その後、2013年に都内のスポーツ関連企業に就職し2017年に退職。翌年、日本人に世界基準のサッカーを若い内から経験させたいとの想いから、日本とブラジルを繋ぐサッカー留学コーディネートCEENを立ち上げる。

野口 雄二/Yuji Noguchi
ディレクター
1987年生まれ埼玉県出身。中学校から高校まではサッカーに打ち込み、大学は早稲田大学へ進学しスポーツビジネスを専攻。大学在学中は早稲田大学が母体の総合スポーツクラブ「早稲田クラブ」でサッカー指導者として活動。大学卒業後はWeb制作会社へ入社、その後転職し現在は某新聞社でWebディレクターを務める。CEENでもディレクターとして、イベントの企画やマーケティングの仕事に携わる。
ディレクター
1987年生まれ埼玉県出身。中学校から高校まではサッカーに打ち込み、大学は早稲田大学へ進学しスポーツビジネスを専攻。大学在学中は早稲田大学が母体の総合スポーツクラブ「早稲田クラブ」でサッカー指導者として活動。大学卒業後はWeb制作会社へ入社、その後転職し現在は某新聞社でWebディレクターを務める。CEENでもディレクターとして、イベントの企画やマーケティングの仕事に携わる。

中沢エドゥアルド太郎/Taro Eduardo Nakazawa
施設長
1970年生まれブラジル/サンパウロ出身の日系2世。サンフランシスコ大学では経営学を学びながらサッカークラブの仕事に携わる。以前はアチバイア市の日本人会スポーツ部の部長を務めるなど、サッカーに限らずスポーツ全般をこよなく愛する。英語、スペイン語、日本語、ポルトガル語が堪能で、ブラジルで生まれ育ちながら趣味は野球。息子が所属する野球部の監督を務めるほど、野球に対する情熱は凄まじいものがある。
施設長
1970年生まれブラジル/サンパウロ出身の日系2世。サンフランシスコ大学では経営学を学びながらサッカークラブの仕事に携わる。以前はアチバイア市の日本人会スポーツ部の部長を務めるなど、サッカーに限らずスポーツ全般をこよなく愛する。英語、スペイン語、日本語、ポルトガル語が堪能で、ブラジルで生まれ育ちながら趣味は野球。息子が所属する野球部の監督を務めるほど、野球に対する情熱は凄まじいものがある。

鈴木國弘/Kunihiro Suzuki
アドバイザー
1955年生まれ千葉県出身。Jリーグ鹿島アントラーズの専属通訳兼コーディネーターとして12年余り勤めあげる。その間、Jリーグ優勝や天皇杯優勝など日本サッカーに於いて主要タイトルを幾つも獲得。2002年からはサッカー日本代表監督ジーコ氏専任通訳として日本代表に入閣。2004年のアジアカップ優勝や2006年ドイツワールドカップ出場など、スタッフとして日本代表チームを支え日本サッカー界に大きく貢献。しかしその後、急性骨髄性白血病と医師から診断される。一時は死を彷徨ったが驚異的なメンタル力を発揮し過酷な闘病生活を経て復帰。現在はサッカー日本代表やジーコ氏から学んだ、「チームが成長し成果をあげる方法」や「組織を崩壊させない為のマネジメント術」、また、白血病から復活を遂げた人間が持つメンタル力などをテーマに自身の経験を幅広く発信している。2021年、サッカー界での功績を讃えられ、日本サッカー協会より「特別功労賞」を受賞。
アドバイザー
1955年生まれ千葉県出身。Jリーグ鹿島アントラーズの専属通訳兼コーディネーターとして12年余り勤めあげる。その間、Jリーグ優勝や天皇杯優勝など日本サッカーに於いて主要タイトルを幾つも獲得。2002年からはサッカー日本代表監督ジーコ氏専任通訳として日本代表に入閣。2004年のアジアカップ優勝や2006年ドイツワールドカップ出場など、スタッフとして日本代表チームを支え日本サッカー界に大きく貢献。しかしその後、急性骨髄性白血病と医師から診断される。一時は死を彷徨ったが驚異的なメンタル力を発揮し過酷な闘病生活を経て復帰。現在はサッカー日本代表やジーコ氏から学んだ、「チームが成長し成果をあげる方法」や「組織を崩壊させない為のマネジメント術」、また、白血病から復活を遂げた人間が持つメンタル力などをテーマに自身の経験を幅広く発信している。2021年、サッカー界での功績を讃えられ、日本サッカー協会より「特別功労賞」を受賞。