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【意見記事】ヴィニシウスへの「物足りなさ」の正体とは何か?――ブラジルサッカー留学の現場から見える“個”の変容

【意見記事】ヴィニシウスへの「物足りなさ」の正体とは何か?――ブラジルサッカー留学の現場から見える“個”の変容

頼りないヴィニシウスにネイマール待望論、再燃か?


-2026-03-30-3.36.07 【意見記事】ヴィニシウスへの「物足りなさ」の正体とは何か?――ブラジルサッカー留学の現場から見える“個”の変容


ブラジル代表が26日の対フランス戦で敗れた後、ヴィニシウス・ジュニオルが批判の矢面に立たされている。SBT局の解説者チアゴ・レイフェルチは、「ロナウジーニョやライー、ネイマールといった名選手はあんなプレーをしようものなら翌日は大荒れだったが、彼にはそんな批判の盛り上がりすらないじゃないか」と、エースと目されながらカリスマ性に欠けるヴィニシウスを酷評。こうした声は目立ち、改めてネイマール待望論を挙げる声も浮上しつつあるが、アンチェロッティ監督は「足りてないものはない」と主張。この先、どうなるか。

https://brasilnippou.com/ja/articles/260328-18brasil /ブラジル日報


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以下 引用の上での意見記事
【意見記事】ヴィニシウスへの「物足りなさ」の正体とは何か?――ブラジルサッカー留学の現場から見える“個”の変容


執筆:CEEN JAPAN(ブラジルサッカー留学コーディネート)

先日、ブラジル日報が報じた「セレソン、フランスに完敗。ヴィニシウスへの批判とネイマール待望論」というニュースは、我々のようにブラジルの地で日本人選手の育成に携わる者にとっても、非常に重く、かつ興味深い示唆を含んでいる。

記事の中で、解説者のチアゴ・レイフェルチ氏は、現在のエース格であるヴィニシウス・ジュニオールに対し、「カリスマ性に欠ける」と手厳しい評価を下した。かつてのロナウジーニョやライー、そしてネイマールが背負っていた「一挙手一投足でスタジアムの空気を変える魔法」が、今のヴィニシウスには感じられないというのだ。

ブラジル国内で渦巻くこの「物足りなさ」の正体は何なのか。そして、その変化は日本からブラジルへ夢を追う若者たちに何を問いかけているのか。サンパウロ州アチバイアに拠点を置き、日々ブラジルサッカーの深淵に触れる私たちの目線から考察したい。

1. 「欧州化」するブラジル人選手と、失われゆく「マランドラージェ」

ヴィニシウスは間違いなく世界最高峰の選手だ。レアル・マドリードでの実績を見れば、彼が現代サッカーにおける「最適解」を体現していることは疑いようがない。しかし、ブラジルの人々が彼に抱く不満は、その「完成度」の高さゆえの「遊びのなさ」にあるのではないか。

近年のブラジル人エリート選手は、若くして欧州のシステマチックな戦術の中に組み込まれる。そこでは無駄なドリブルは排除され、効率的なスプリントと守備のタスクが求められる。結果として、かつてのブラジルサッカーの象徴であった「マランドラージェ(ずる賢さ、遊び心)」や、相手を小馬鹿にするような予測不能なフェイント――いわゆる「ジョガ・ボニート(美しくプレーせよ)」の精神が、勝利至上主義の戦術に上書きされつつある。

ネイマール待望論が再燃するのは、彼がその「理屈を超えたブラジルらしさ」を体現する最後の世代だからだろう。我々が現地で接するブラジルの若手選手たちも、以前に比べれば規律正しくなった。だが、同時に「彼にボールが渡れば何かが起きる」という、あの胸のすくような期待感までが効率化の波に飲まれようとしている現実に、我々は危機感を覚える。

2. 「期待」すらされないことの恐怖

記事中でレイフェルチ氏が指摘した、「批判の盛り上がりすら起きていない」という言葉は、ブラジルサッカー界にとって最大の警鐘だ。

ブラジルにおいて、代表選手への罵声は期待の裏返しである。かつての10番たちは、負ければ家を焼かれかねないほどの重圧の中でプレーしていた。その「愛ある憎しみ」こそが、ブラジル人選手を唯一無二の勝負師へと育て上げてきた。ヴィニシウスに対して批判が「盛り上がらない」とされるのは、彼が「計算できる優秀な駒」として認識され、国民の魂を揺さぶる「救世主」として見なされていないことを意味する。

これは、日本からブラジルに留学に来る選手たちにとっても他人事ではない。我々が選手たちに伝えるのは、「上手い選手になるな、代えの利かない選手になれ」ということだ。ブラジル人は、ミスをしてもそれを取り返して余りある「個の輝き」を愛する。システムに収まるだけの選手なら、今のブラジルには必要ない。それは日本でも学べることだからだ。

3. 日本人留学生が今、ブラジルで掴むべきもの

では、ネイマールのようなカリスマが不在とされる今のブラジルへ、あえて日本から修行に行く意味はどこにあるのか。

それは、まさに今回ヴィニシウスが突きつけられている「ブラジルのアイデンティティとの葛藤」を肌で感じることにある。欧州のモダンサッカーが世界を席巻する今だからこそ、ブラジルの人々が何を「良し」とし、何に「憤り」を感じるのか。その審美眼に触れることは、日本人選手にとって最大の財産になる。

CEENのトレーニングセンターにやってくる日本の少年たちは、皆一様に真面目で、コーチの指示を忠実に守る。しかし、現地のブラジル人選手とマッチアップした瞬間、彼らは混乱する。セオリーにないタイミングでの仕掛け、理不尽なまでの球際の強さ、そして勝負どころで見せる「豹変」したような集中力。

ヴィニシウスが「物足りない」と言われるほどの高い基準を持つ国で、自らの立ち位置を知ること。システムを超越する「個」の力を、理屈ではなく本能で求める空気感の中に身を置くこと。それこそが、日本人がブラジルで学ぶべき真髄である。

4. 結びに:次世代の「エース」を待つブラジルへの提言

ブラジル代表のアンチェロッティ監督は「足りてないものはない」とヴィニシウスを擁護した。確かに、データや戦術眼で見ればその通りだろう。しかし、サッカーは数字だけで動くものではない。

ブラジルサッカーが再び世界の頂点に立つために必要なのは、ヴィニシウスのスピードに、ネイマールのような「即興の魔法」を融合させることだ。そして、それは育成年代からの環境作りにかかっている。

我々CEENは、これからも日本からブラジルへ挑戦する若者たちを支え続ける。そして彼らには、ヴィニシウスのような世界基準のプロフェッショナリズムと同時に、ブラジルの人々が渇望してやまない「遊び心」と「勝負強さ」を欲張りに吸収してほしいと願っている。

ヴィニシウスへの批判は、ブラジルサッカーがまだ死んでいない証拠だ。理想が高いからこそ、今の代表に満足できない。この熱量がある限り、ブラジルはいつか必ず、理屈を吹き飛ばすような新しいスターを生み出すだろう。その進化の過程を、私たちはこれからもブラジルの土の上で見届け、日本のサッカー界へと還元していく決意である。


(CEEN JAPAN / ブラジルサッカー留学支援事業部)

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