ジーコとサッカー界に救われた命 ジーコJ元通訳・鈴木國弘氏、白血病から驚異の回復
※この記事は 2014.7.23. ZAKZAK by 夕刊フジ https://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20140723/soc1407231140001-n1.htm からの転載です。
2006年W杯ドイツ大会でジーコジャパンの通訳を務めた鈴木國弘氏(58)が、昨年12月に急性骨髄性白血病を発症していたことを告白した。驚異的な回復でこのほど社会復帰が決まり、インタビューに応じた。 (聞き手・久保武司)

──白血病とは驚きました
「何が何だかわかりませんでした。すぐ入院しないと命も保証できないと。自覚症状はなく、昨年6月に胆嚢結石で手術して、術後の半年検診で白血病とわかった」
──W杯は
「6カ月で何とかなると言われたので、主治医にブラジルに行けますかと聞いたんですが、『(2016年の)リオ五輪なら』と(苦笑)」
──治療は
「化学療法が効かず、2月に臍帯血(さいたいけつ)移植をしました。テレビドラマでしか見たことのない無菌室に入り、抗がん剤治療は地獄でした。24時間倦怠感が続き、味覚もなくなり、水もまずい。これが2カ月続き、体重も20キロ以上落ちました」
──ジーコからは
「毎日のようにメールをくれました。“おまえには根性がある。オレはおまえが土壇場に強いことは知っているからな”と。ただ、メールに返信する気力もなかった。死んでもいいと本当に思った。でも、勝手に死ぬなんて決めるなと声が聞こえてきた。体調がよくなってきたのはそれから。へその緒を移植する臍帯血移植が順調に進み、血液型はB型からA型になるそうです。落ち着いた性格になりますかね」
──サッカー関係者が心配していました
「鹿島の皆さんに助けてもらった。サッカー協会の方々からもエールをいただきましたが、すぐに気力が萎えた。オレごときをなぜ、そんなに心配してくれるのかという日々でした」
──それでもサッカーに救われた
「死線をさまよって最後はやはり気力だと。メンタルです。死ぬんだと思えばどんどん悪くなるが、気持ちさえしっかりしていればなんとかなる。サッカーもそう。母国開催のW杯で7点とられて負けたブラジル、日本代表も11人だけでやるのではなく、それこそ国を背負っている。ひとり一人のメンタルが大事だと教えられました。サッカーがなければもうこの世にいませんでした。サッカーに救われた命、今後は恩返しをしていくつもりです」
■鈴木國弘(すずき・くにひろ) 1955年12月25日、千葉県生まれ。19歳でブラジルに渡ってポルトガル語を身につけ、1991年から鹿島アントラーズの通訳としてジーコと関わり、2006年W杯では日本代表監督通訳としてベンチ入りした。
主な内容と流れ
- 発症・発覚の経緯
- 鈴木氏(当時58歳)が2013年12月に急性骨髄性白血病を発症しました。 ceen-japan.com
- 自覚症状はほぼなかったようで、きっかけは「胆嚢結石」の手術。その術後の定期検診で白血病が見つかった。 ceen-japan.com
- 治療内容
- 化学療法が最初試されたが効果が乏しく、最終的には臍帯血移植(へその緒の血を使う移植)を行った。 ceen-japan.com
- 治療中は無菌室に入るような環境だったり、24時間の倦怠感、味覚障害、水すらまずく感じるなど、非常に辛い副作用があった。体重も20キロ以上減少した。 ceen-japan.com
- 精神面・支え
- ジーコ氏(ブラジル代表監督などを務めた有名なサッカー指導者)から励ましのメールがあった。「おまえには根性がある」「土壇場に強いことは知っているからな」等。 ceen-japan.com
- ただ、鈴木氏自身は返信する気力もなく、「死んでもいい」と思うほど弱っていた時期もあった。そこから精神(メンタル)が回復の鍵になったと語っている。 ceen-japan.com
- 回復とその後
- 臍帯血移植は成功し、血液型が変わるというような話も出てくる。 ceen-japan.com
- 社会復帰が決まり、「恩返しをしていきたい」という思いを持っている。 ceen-japan.com
- 背景・人物紹介
- 鈴木國弘氏は1955年生まれ、千葉県出身。若い頃ブラジルに渡り、ポルトガル語を学び、鹿島アントラーズでジーコと関わるように。1991年以降ジーコの通訳として活動し、2006年のワールドカップでは日本代表のベンチにも入った。



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